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徳川家康 史実と照らし合わせてみるとそうでもないのだが、何故か一番妥当とされている人物 能力が高いのはいいが、信長秀吉から学んだ部分がかなりあるだろうことは確実なので、 最初から高いというのは違和感がある そういった意味で最大の問題はゲームシステムか ちなみに天道での能力値は 統 武 知 政 96 87 94 100 統率 三方ヶ原のせいで信玄より低く、姉川と小牧長久手のせいで信長・秀吉より高く設定される傾向にある。 しかし 三方ヶ原は武田の兵力が徳川の兵力の2倍 姉川での奮闘は後世の創作の可能性が高い 小牧長久手は別働隊同士の戦闘 と、どれもあまり参考にならない。 武勇 武芸に励んでいたらしいし、長生きもしてるので高めでいい。 知力 謀略による勝利が多いのでトップクラスに高くていいはず。 政治 ほぼ最高値がつけられる事が多い。 秀吉死後の家康ならそれでもいいのだが。 顔グラ ウィリアム・アダムスの「愉快な顔」という記録から、有名な肖像画の顔がほぼ正しいものと思われる。 現状の顔は家康らしくない。
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八神庵 やぐら 山崎俊秀 山中鹿之介 山本真 ゆるキャラ 幼名 鎧伝サムライトルーパー 八神庵 SNK(現SNKプレイモア)の対戦型2D格闘ゲーム『ザ・キング・オブ・ファイターズ(KOF)』の登場人物。 シリーズ第二作のKOF95’より登場し、統一主人公である草薙京の因縁のライバル役を務めた。 古武術と闘争本能を統合した凶悪な戦闘スタイルや、呪われた青紫色の炎を纏い、 敵を爪で切り裂き炎で焼き尽くすという印象的な必殺技で、シリーズを代表する人気キャラクターへと成長した、 2D対戦型格闘ゲーム界を代表するダークヒーローである。 その容姿は前に突き出した紅色の頭髪にロッカースタイル、背中にはシンボルである月輪の紋章と、 日輪をイメージした草薙京のアンチテーゼとしてのデザインが一貫されている。 口を開けば「死ね」「殺す」といった言葉が飛び出すその言動も憎しみに憑りつかれた狂気の男というスタンスが明白で、 印象的な勝利時の哄笑も相俟って、当時の若年層ゲーマーから絶大な支持を勝ち取るに至っている。 なお、作中の草薙家と八神家には深い因縁があるが、庵の憎しみの対象はあくまで京個人であり、 「ただ気に食わない」という理由だけで彼に対して強烈な憎しみを向けている。 この姿勢は徹底しており、庵は京を殺すこと以外には一切の興味を示さないため、 当の京から「俺を殺した後はどうするつもりなんだ」と問われるシーンさえもある。 ちなみに、庵は「血の暴走」と呼ばれる錯乱状態に陥ることがあり、 その場合はニュートラルポーズが当時第一次ブームの最中であった「新世紀エヴァンゲリオン」の、 主人公機であるエヴァンゲリオン初号機(暴走状態)を思わせる前傾姿勢となり、 勝利時などに「キョオォォォ!」と天に向かってライバルの名を叫ぶ。 上記の通り、月のイメージや天に向かってライバルの名を叫ぶ姿、 エヴァンゲリオン初号機の暴走状態を思わせる動きで疾走し爪で敵を切り裂く恐惶時の戦闘スタイル、 憎む相手を殺す以外のことに一切の興味を示さない言動など、 B3に登場した石田三成のパクリ元なのは誰の目にも明らかなのだが、 幾ら全盛期を過ぎたとはいえ、現役作品(*1)のパクリをこうも白昼堂々と行うとは、 公式側の、嘗てのカプコンとSNKのパクリ合いの時代の悪癖は全く消滅していないらしい(*2)。 なお、当のB三成は人気投票で最上位に食い込んだそうだが、さもありなんである。 余談だが、KOFにおける京と庵は「三種の神器」と呼ばれる家系の生まれであり、 その家系は草薙の剣を司る草薙家(シンボルは日輪)・八尺瓊の勾玉を司る八神家(シンボルは月輪)・ 八咫の鏡を司る神楽家(鏡そのものがシンボル)で構成される。 そして、B3のOPのラストシーンで家康と三成が戦っている赤い水が張られた場所は、 その直前の家康が崖の上から戦闘場所へ飛び降りるシーンを見ると、 「縁に花びらのような装飾がされた丸い鏡」を思わせる形であることが分かる。 つまり、「太陽」「月」「鏡」というKOFにおける「三種の神器」のシンボルが、本シーンで見事に揃っているのである。 やぐら B大谷の乗っているもの。どうみても輿(こし)なのだが、小林曰く「やぐら」らしい。 ちなみに戦国時代のやぐら(櫓)とは、このような物見や防衛用に建設された高い塔のことを指す。 病身の大谷を乗せるのはどう考えても鬼畜の所業である。 山崎俊秀 戦国時代の武将。史書における名は山崎新平。 姉川の戦い(1570年)で仙石秀久に討ち取られたという記録が残っている、浅井家家臣の一人。 戦国BASARA3ではお市配下の一モブ武将として登場したが、 通称の「新平」ではなく「俊秀」を称している点が問題となる。 何故ならば、俊秀という諱は記録には存在せず、週刊ヤングマガジン連載中の宮下英樹氏の漫画である、 『センゴク』作中における創作上の名前だからである。 つまり、BASARAスタッフが『センゴク』を読み、山崎新平の名を俊秀と思い込んだ挙句、 碌に調べもせずにゲームにも登場させてしまったということが明らかな上、 エンディングロールに宮下英樹氏および講談社のクレジットが無いことから、無断使用であることもわかる。 「山崎俊秀」という名に著作権が認められた場合、戦国BASARA3は著作権を侵害していることになるため、 宮下英樹氏と講談社の動向が注目される。 追記 『戦国BASARA2 英雄外伝』発表時に新武将の予想投票があったが、その選択肢の中に「仙石秀久」があった。 しかし、その人物も宮下英樹氏の漫画『センゴク』で知った可能性が高い。 山中鹿之介 戦国時代の武将。戦国BASARA4より新登場が決まった。 史実では出雲国出身の人物であり、名は幸盛。通称は鹿之介(鹿介)。 若くして勇名高く、「山陰の麒麟児」の異名を持つ勇士であるが、 それ以上に、(時として妄執とさえ思える)忠義の高さで後世に知られる人物である。 尼子家臣の子として生まれた彼は、同地の大名である尼子家に仕えたが、 当時の尼子家は元就率いる新興勢力の毛利家に圧迫され、嘗ての栄華を既に失っていた。 遂には本拠である月山冨田城も陥落し、尼子家は滅亡の憂き目にあってしまうが、 これより鹿介の尼子家再興のための生涯をかけた死闘が始まることとなる。 この時、三日月に「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と願を掛けた一幕は余りにも有名である。 ある時には残党を率い、更には織田家とも同盟をして尼子再興のための挙兵を繰り返すが、 時勢は彼に味方せず、毛利への降伏後に暗殺された。 後世、彼の忠勇は高く評価され、先の「七難八苦を与えたまえ」の名言とともに、 戦前の教科書にも採用され、彼の名は多くの国民に知られることとなったのである。 B4での彼の姿は、何故か少年の姿をしており、「おやっさん」と慕う目付け役(ペットではなく)の鹿を連れている。 その鹿の具足(ということは体の一部)を借りた半人前の武将兼「迷探偵」と言う、意味不明にも程がある姿である(*3)。 その鹿の角も有名な「鹿角脇立兜」とは程遠い(*4)、「せんとくん」のような小ぶりな姿であり、 既にアンチの側からは「(に)せんとくん」「(馬)鹿之介」とこき下ろされている。 また、その容姿自体にさえ多大な問題が残っている。 その吊り上がり気味の目とくせのある毛髪が、『真・三國無双』シリーズの鍾会のそれと酷似しているのである。 無双鍾会は、演義や正史とは異なり、容姿以上にその個性的な言動から女性層に奇妙な人気を博した武将であるが、 「女性に媚びない」公式が女性人気を狙ってパクリをしたのだと推測されている。 いずれにせよ、その忠勇で後世慕われた鹿介像を粉砕する畜生然たる「創作」と言えよう。 付記 無双シリーズでは、山中鹿介は『100万人~』の方でオリジナル武将として登場しているほか、 『戦国無双3 Empires』では、毛利家シナリオの重要敵NPCとして印象に残る活躍をしており、 各所で話題になることも多かった。 この件から、先にネタを盗んでしまおうとして要望を「盗み見た」可能性も指摘されている。 山本真 戦国BASARAシリーズのディレクター。 代表作に『P.N.03』『スターオーシャン セカンドストーリー』など。 小林の影に隠れがちだが、インタビューを見るに、同様に失言癖や基本的な常識の欠如が見られる(*5)。 最近は、何故か小林を差し置いて表に出る回数が増えてきた。 ゆるキャラ 主として地方自治体や各種企業が考案した、「ゆるいデザインのキャラクター」のこと。 それら組織のマスコット的地位にあるものとして扱われるのが通例である。 前身というべきキャラクターは幾つか指摘できるが、一つのジャンルとして確立するに至ったのは、 彦根城のイメージキャラクターである「ひこにゃん」の存在が大きい。 現在では、熊本県のゆるキャラである「くまモン」が同地の地域振興に大きく貢献したことが知られる。 これを承けてか、Bにおいてもゆるキャラが制作される運びとなったのだが、 それは単なる二頭身のSDキャラに過ぎなかった。 また、その構造故に自立しての行動に支障を来しているという、欠陥品でもあった。 幼名 主に中世から近世にかけて存在した人名の分類の一つで、元服(当時の成人の儀)以前に用いる名前。 現代とは異なり、かつては青年時代と少年時代とでは別の名を用いていたということであり、 類似の風習は世界各地に散見される。 B幸村伝では、真田幸村と伊達政宗の少年時代の姿がPCとして登場し、 それぞれが史実における幼名である弁丸・梵天丸の名で登場することになっている。 これ自体は特に問題はない事のように思えるであろうが、最早幾度繰り返されたかわからないが、 最近の作品である『戦国無双4』の内容を考えるとその評価は一変する。 同作では真田兄弟の存在が物語の時間軸における展開全体を主導する形になっていたため、 作品各所で演出的に、真田兄弟の幼少時の姿が描かれていたからである。 この時、二人が稽古用の木刀と槍で修行に励む姿も印象的である。 この無双真田兄弟の姿と、Bの餓鬼二人の姿が酷似していることは容易に指摘可能である。 加えて、このような木刀を携えて合戦に乱入する少年政宗の姿は、初代戦国無双のそれと何ら変わらない。 B幸村伝が大河に便乗した盗作であることを示す一つの現象であろう。 鎧伝サムライトルーパー 1980年代後半に製作・放送された、サンライズ社製作のアニメシリーズ。 当時は『聖闘士聖矢』を嚆矢とする所謂「鎧もの」ブームの時代であり、本作はその一つである。 本来は少年向けの作品であったが、美少年を主体とした主人公チームの姿と声優陣はむしろ女性層の支持を得、 本放送が収益的には不振に終わったものの、OVA等に活動の幅を広げ、一つの時代を築いたと言える。 この主人公チームの中心人物である真田遼(*6)は、モチーフとした真田幸村の通りの真紅の鎧であり、 担当声優が草尾毅であることから、時としてB厨から無双のパクリ元と言われることがある。 同時に、この鎧の紋章が「武田菱」に見えることから、信玄と幸村の設定の元ネタであるとの曲解を生み出してもいる(*7)。 自分達がパクリゲーの信奉者だからと言って、他も同一であるとは無論限らない。 無双シリーズにも本作にも、冤罪を課すわけにはいかないのである。 余談 本作を語るうえで、あまりにも有名な事件がある。 本作の本放送中に、誤って同一の話を二週連続で放送してしまうという放送事故が生じた。 これ自体は単なる事故なのであるが、この件に関して、本来の士調査層である筈の子供達、 ひいてはご両親ではなく、何故か女性層からの抗議が放送局に殺到したのである。 この偶発的な事件から、本来はアングラ層以外の何物でもなかった「腐女子」の存在が、 マスメディアにも大きく取り上げられ、社会的にも知られるようになったというのは、 その功罪は兎も角として、戦後サブカル史の有名な一頁であることは間違いない。 この展開を受け、本作の主人公チームの声優陣がアイドルグループ的な活動を始め、当時の女性層の歓声を浴びた。 現在では男性声優グループがアイドル的な活動をするというのは決して珍しいことではないが、 本作はその先駆者とも言うべき地位にあるわけである。 現在、草尾氏はアイドル声優的なキャリアからは一線を退いているが、 氏の存在は現在のサブカル業界における女性ファンの存在を語る上では欠かせないと言える。 そして、氏を追いかけた女性ファンの次世代組=B腐は、氏に対する不当な悪罵を止めず、 彼の後輩に危険なまでの負担を強いてすらいる。 氏の心中、察するに余りある。
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[部分編集] http //www.nicovideo.jp/watch/sm10657963 投稿者コメント1.コメント2.コメント3.コメント この作品のタグ:第36回MAD晒しの宴 第4回ニコニコ紅白MAD合戦 「白組」 レビュー欄 一世風靡かと思ったら、そっちかw BASARAがネタゲーであることを思い出させてくれる はっちゃけた内容で面白いです。 力技じゃない丁寧な編集も素晴らしい。 -- 名無しさん (2010-05-16 13 03 08) ぽんぽんと流れてって小気味良かったw 楽しいw 「ネタが被った」のとこが初見では「? どゆこと?」とちょっとわかりにくかったかも。 勢いよく流れてくんで普通に見る分には気にならないと思うけど。 毎回カプコン光栄ネタにしとくとか、統一した方が印象づけるにはいいかも知れない。 でも色々やった方が楽しい気もするから、結局は好みの問題かなあ。 -- 名無しさん (2010-05-17 17 13 28) 曲も編集もテンポ良くて面白気持ち良かったですww 一瞬入る小ネタは早すぎて自分もよくわからなかったですw -- 名無しさん (2010-05-21 16 33 24) 名前 コメント 第36回MAD晒しの宴 第4回ニコニコ紅白MAD合戦 「白組」
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織田055R徳川家康 もしくは今川034 SR松平元康の事。 説明不要な程有名な人であり、300年近く続いた江戸幕府の礎。 狸爺と呼ばれる事もあるが戦国大戦では基本ハンサム担当である。 狸のようなフェイスペインティングがチャーム。 けど性能に関してはお察し願いたい。 …が、スレでは、石田三成でもいるのか、やけに弄られる。 妻の瀬名には殴られたり物を投げつけられ、脱糞ネタで弄られ 部下が全員微妙なのも弄られ、武装神姫のポモックみたいな口調にされたり云々。 忍耐の人もそろそろキレていいレベルである。 まあ、嫌われて愛されている証拠だと思いたい。 Ver2.0でまさかの追加カード無し。(徳川四天王とかも) しかも永遠のライバル石田三成が来てしまったせいでますます弄りに拍車がかかると思われる。
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(1602~1671)江戸初期の大名。徳川家康の十男で、紀州徳川家の祖。通称南竜公。文武を好み、剛毅な性格であったという。由比正雪と親交があり、慶安の変の背後にいたという説もある。 魔界転生(石川版) 魔界衆の一人。天下人の座を狙って魔界転生し、幕府転覆を狙う。その身は転生時から無数の病原体を宿した姿で現れ、紀州城下に奇怪な業病をまき散らした。
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買い物リスト その他 買い物リスト ※武器類、専用アイテムは一度でも条件を満たせば、どの武将でも購入できる ※成長アイテムは10回まで購入できるが、 買う度に500→1000→2000→3000→4000→5000→6000→8000→10000→20000 と値上がりする アイテム名 価格 入荷条件(無表記は最初から購入可能) 元気ごはん 500~20000 力うどん 500~20000 頑固せんべい 500~20000 第3武器 8000 第5武器 28000 ストーリー、外伝ストーリー、天下統一のいずれかをクリア(キャラ・難易度問わず) 第7武器(お楽しみ武器) 70000 ストーリー、外伝ストーリー、天下統一のいずれかをクリア(キャラ問わず、難易度は難しい以上) 第1防具 10000 専用装備アイテム 30000 ストーリーモード全員分クリア。BASARA2で入手済みならば、すでに売り切れている 追いはぎ包丁 3000 ストーリーモード全員分クリア 呼運のお守り 青 3000 一重のほうび 水 3000 金満貯金箱 白虎 3000 戦国武芸全集 弐の巻 3000 勝鬨の杯 陰・陽 4000 熱唱びわ 15000 累計合戦クリア数5回 満腹数珠 16000 累計合戦クリア数8回 連撃扇子 18000 累計合戦クリア数10回 達人の眼鏡 20000 累計合戦クリア数15回 ごますり棒 24000 累計合戦クリア数20回 韋駄天抄 27000 累計合戦クリア数25回 威力変化鏡 29000 累計合戦クリア数28回 王将の奇蹟 30000 累計合戦クリア数30回 2度目のくじ引き券 35000 累計合戦クリア数35回 練達の戦法 38000 累計合戦クリア数38回 万年氷の水晶 40000 累計合戦クリア数40回 鍛冶屋の槌 45000 累計合戦クリア数45回 白金切符 50000 累計合戦クリア数50回 一八の財布 55000 累計合戦クリア数55回 源内の蘇生術 60000 累計合戦クリア数60回 怨念の再利用 65000 累計合戦クリア数65回 あぶく銭の財布 70000 累計合戦クリア数70回 大谷の頭巾 75000 累計合戦クリア数75回 才蔵の笹 80000 累計合戦クリア数80回 褒美の大判 85000 累計合戦クリア数85回 昇天香炉 90000 累計合戦クリア数90回 逆鱗手甲 100000 累計合戦クリア数100回 清正の虎皮 150000 累計合戦クリア数110回 覚醒の焼印 200000 累計合戦クリア数120回 その他 必要金額 成長アイテム一種10個購入で合計59500両。三種を10個ずつで合計178500両。 武具は第3武器が8000、第5武器が28000、第7武器が70000、第1防具が10000。 これら成長アイテムと武具を全部揃えた場合、しめて294500両。 全30キャラの身支度を済ませるなら8835000両。 その他のバサラ屋で買えるアイテムは、合計で1022000両。 各キャラの身支度分と合わせて7501000両。 累計合戦クリア数稼ぎ 自由合戦にて、真田幸村を倒すだけでクリアできる『蒼紅一騎打ち』がおすすめ。 中でも最も効率がいいのは濃姫。 難易度普通なら、秋津の渡り→幸村に向かって銃を撃ち続けるだけで簡単にクリアできる。 金満貯金箱を装備していれば、小判も稼げて一石二鳥。
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名前:sarasa13 通称: よく使われるタグ: 声の特徴:低音から高音まで綺麗に抜ける、緒方恵に声が似てるとの声も 作品の特徴・傾向 アニソンが中心、奇をてらわない完全なガチ 現在の歌ってみたでは珍しく、ボーカロイドオリジナルを一切歌わない(08年9月現在) 人物・その他の特徴 自分の歌いたいものをただ歌っていくスタンスと公言、その為ニコニコでは余り歌われない曲が多い そのため再生数は余り伸びていない、隠れ家的存在 作者コメントでよく謝る 2009年11月をもって引退・ニコニコ活動終了。ブログでお蔵入り音源を公開している。 動画 公開マイリスト 【ニコニコ動画】歌ってみたもの 封神OP「WILL(米倉千尋)」を歌ってみた(sarasa13) 月のワルツを歌いました(sarasa13) 関連動画(合わせてみた等) コラボ ライオンを歌ってみた【なみだ+sarasa13】なみだ(現:鮭子)とのコラボ 歌ってみた2008年デビュー(笑)組でニコニコ動画流星群をコラボしてみた 東ノ暁 西ノ黄昏を歌ってみた【いっき&sarasa13】いっきとのコラボ (✿◔ิ з◔ิ)ノ『SKILL』コラボしてみた。sara疲RENタイっきたん+黒衣いっき、イスカ、タイ焼き屋、疲れた男、花たん、RENとのコラボ 「戦え!アルカイザー!」 by SIT Paradise♩♪♫♬いっき、イスカ、タイ焼き屋、疲れた男、ドニ嶋、macoto、花たん、RENとのコラボ 【モンハン】 DRAGON CARNIVAL 【3-try-発売記念コラボ】いっき、イスカ、花たんとのコラボ 合唱・合わせてみた 合唱 【月のワルツ】~愛することは信じること~ 編集業務連絡 名前 コメント
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徳川の章 織田の章、桶狭間の戦い(織田軍)から分岐を選択で出現。 その他に 今川の章、駿河防衛戦(今川・北条軍) 明智の章、山崎の戦い(明智軍) 武田の章、長篠の戦い(武田軍) から途中加入する分岐あり。 年代 シナリオ名 難易度 プレイヤー武将 敵無双武将 戦前好感度イベント レア武器入手武将 備考 1570 金ヶ崎撤退戦(織田・徳川軍) 2 羽柴秀吉明智光秀徳川家康 浅井長政/お市 姉川の戦い(織田・徳川軍) 3 織田信長羽柴秀吉徳川家康 浅井長政/お市 1573 三方ヶ原の戦い(徳川軍) 3 徳川家康本多忠勝服部半蔵 武田信玄/真田幸村/島左近 1579 天正伊賀の乱(織田・徳川軍) 3 服部半蔵ねね稲姫 真田幸村/くのいち/風魔小太郎 服部半蔵 1584 小牧長久手の戦い(徳川軍) 4 本多忠勝稲姫服部半蔵 羽柴秀吉/黒田官兵衛/前田利家福島正則/藤堂高虎/石田三成島左近/ねね/加藤清正 1585 第一次上田城の戦い(徳川軍) 5 徳川家康本多忠勝稲姫 真田幸村/直江兼続/前田慶次くのいち 1590 小田原討伐(豊臣軍) 5 豊臣秀吉徳川家康伊達政宗 北条氏康/甲斐姫/風魔小太郎 1600 伏見城の戦い(東軍) 6 本多忠勝福島正則柳生宗矩 石田三成/島左近/雑賀孫市島津義弘 第2レア:服部半蔵 関ヶ原の戦い(東軍) 6 徳川家康柳生宗矩福島正則 石田三成/島左近/島津義弘くのいち 柳生宗矩福島正則第2レア:本多忠勝 柳川攻防戦(東軍) 6 加藤清正黒田官兵衛鍋島直茂 立花宗茂/立花誾千代/島津義弘 加藤清正第2レア:黒田官兵衛 関ヶ原の戦い・改(東軍) 8 藤堂高虎井伊直虎柳生宗矩 石田三成/島左近/島津義弘立花宗茂/甲斐姫/くのいち 第2レア:徳川家康 1614 大坂冬の陣(徳川軍) 7 徳川家康伊達政宗藤堂高虎 真田幸村/甲斐姫/くのいち風魔小太郎 第2レア藤堂高虎 1615 大坂夏の陣(徳川軍) 7 徳川家康伊達政宗藤堂高虎 真田幸村/甲斐姫/くのいち風魔小太郎 主人公男主人公女徳川家康
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難易度★☆☆☆☆ 熱血!武田道場 壱 (なし) 人取橋の戦い 久秀「卿の兵を捕虜にいただいた なに、取るに足らない瑣末だろう?」 光秀「ふむ…頼りのないことだ」 難易度★★☆☆☆ 姉川降魔戦 武将「お急ぎを! 小谷城に侵入するのです!」 光秀「ふう…あわただしいことですね」 武田戦線強行突破 向こうに広がるは新たな狩場…ですね 難易度★★★☆☆ 小牧長久手の戦い 家康「おめぇらはまだ知らねえ… この戦で、どんな恐怖が待ち受けるかを!」 光秀「怖い怖い!」 双竜の決闘 (なし) 手取川の戦い 貴方の墓穴を用意しておきましたよ…ククク 農民護衛戦 農民「お願いだ、わしらを助けてくだされ!」 光秀「宴に間に合いましたよ」 農民「助けてくれるだか? ありがてえ!」 熱血!武田道場 弐 (なし) 難易度★★★★☆ 蒼紅共闘戦 (なし) 長谷堂風雲戦 皆さんもお好きで…クク 本能寺宿命戦 織田軍武将「謀反でござる…! 明智殿の謀反なりぃぃッ!」 光秀「敵は本能寺にあり! ハハハ!」 山崎滅殺戦 秀吉「明智光秀、天王山は我が掌握した 大人しく網にかかる狐となるがいい」 光秀「高松城からわざわざ会いに来てくれるとは… さぞかし、大変だったでしょうね」 難易度★★★★★ 大仏殿炎上戦 お愉しみはこれからですよ… 天王山抹消戦 (なし) 熱血!武田道場 参 (なし) 松永軍迎撃戦 扉一枚、どうでもいいことではありますが
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登録日:2010/02/08(月) 22 28 30 更新日:2024/02/14 Wed 18 15 39NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 どうする家康 井伊直政 四天王 徳川三傑 徳川四天王 徳川軍 戦国時代 本多忠勝 榊原康政 武将 武将項目 背中に目 能筆家 赤備え 酒井忠次 徳川四天王とは家康の天下取りに大きく貢献した四人の武将のことである。 類似品として大久保忠世、服部半蔵らを加えた徳川十六神将。酒井忠次没後の徳川三傑などがある。 ●酒井忠次 忠次「では、まずは四天王で一番年長の私が。まずはここらで出会った縁を祝して海老掬いを一つ……そーれえび(ry」 四天王筆頭で、戦場では甕通(かめとおし)と呼ばれた槍を振るい、背中に目を持つと称された名将。 宴会の席では海老掬いという宴会芸を披露するひょうきんな面も。 家康の父、広忠の代から仕え、家康が今川へ人質に行った時からの最古参の将でほかの四天王とは親子ほどの年の差がある。 家康が独立すると石川数正と共に重用され、三河一向一揆討伐、吉田城攻めにて戦功を挙げ、吉田城主となる。 後も重用され、姉川、三方ヶ原と戦い抜き、長篠の戦いでは武田勝頼の背後を別働隊にて急襲、 勝頼の叔父を討ち取り、武田軍を前方に押し出し、鉄砲の掃射を浴びせるのに一役買う、という大功を上げる。 家康の寵愛を受けていたが、ある時に家康の嫡男であった信康の素行についての弁明の使者として大久保忠世と共に信長の元へ向かった際、 信康を弁護仕切れず、信康を切腹させてしまう。 家康はこの件は不問に帰したが、家康と忠次の間に小さくない溝が生まれてしまう。 以降も重用は続き、明智光秀討伐の兵を挙げた際に先鋒となり、天正壬午の乱、小牧長久手を歴戦。 1585年の石川数正の出奔の後は家康の最重臣として仕える。 1590年の関東移封の2年前に隠居したが、移封後の嫡子家次の禄高が三万石(他の四天王は十万石前後)であった為に抗議したが、 「お前でも息子がかわいいのか」と、信康のことを引き合いに出され、何も言えなかったと言う。ただ、近年はこの逸話に関しては江戸時代の創作であるという見解が強く、大河ドラマ「どうする家康」ではそう言ったシーンは描写されなかった。本作では、家康が天下取りの意志を再燃させることとなったのは、忠次の「天下を、お取りなされ」という遺言であった…という設定がなされている。 関ヶ原の4年前、1596年に京都の自宅にて死去。享年70才。 忠次の末裔たる左衛門尉(さえもんのじょう)酒井家は幕末まで孫の代で転封された庄内藩とその支藩の2藩が残ることとなる。 庄内藩は改易された最上氏の所領のうち15万石なのだが、転封後いきなり負担を増やしたため最上回顧・賛美が起き隣の鳥居氏共々最上氏を偲ばせるものを破壊しまくるという行動に出た。鮭様カワイソス。 領民には「本間様(*1)には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とまで言われる程領民から好かれていなかったが、末期には本間氏の献策があったおかげで天明の飢饉の時に餓死者を抑えられたので慕われるようになった。 しかし大政奉還後薩摩藩を敵に回したせいで会津共々「官軍」のターゲットとされ(ちなみに他の四天王子孫はすぐ官軍に恭順)、井伊分家等と戦闘する羽目に…。 なお「家康の家臣だった酒井家」は他にも伊達騒動等に登場した「酒井忠清」らを輩出した「徳川二十将」酒井重忠の雅楽頭(うたのかみ)酒井家が存在するので混同に注意。 実際に庄内藩転封した頃辺りで酒井忠勝被りが起きており、しかも雅楽頭の方が大老だったため「大老の酒井忠勝のせいで最上氏の遺物が減った」という風評被害もある。 忠次「……と、いう事じゃ。では、最後にさらに私の知名度を上げるべくここで一つ、三方ヶ原の戦で見せた酒井の太鼓を……」 康政「あー、すまん忠次。悪いけど次俺の出番だから」 直政「ここは酒井殿の項目ではなく、我々四天王の項目ですよ」 忠勝「では、康政、どうぞ。^^」 ●榊原康政 康政「おう。無の旗印でお馴染みの榊原康政だ。俺はかつて秀吉をディスる文書書いて秀吉に懸賞金かけられた事あるんだぜ?」 知勇兼備且つ、筆も立ち、家康から度々代筆を任されていた将。 産まれは酒井氏の陪臣の子として。 幼少の時より家康に小姓として仕え、初陣は三河一向一揆討伐。 この時の活躍により「康」の字を与えられ、一揆に参加した兄を差し置き、榊原家の家督を次ぐ。 これ以降家康に同年の本多忠勝と共に旗本として家康に近事し、 姉川で別働隊を率い、徳川軍の倍近い朝倉軍を横から襲撃し、戦功を上げたのを始め、三方ヶ原、長篠でも活躍、高天神城攻めでは先鋒に抜擢される。 本能寺の変後も家康に近事、小牧長久手の戦いの折りには秀吉を罵倒する檄文である榊原状を自身の能筆の限りを尽くししたため、 それを各地に貼り付けると秀吉は激怒し、「この文をしたためた者の首を取った者には十万石を与える!」と言ったが、 康政は堀秀正に一度敗れはしたが三好勢を壊滅に追い込み、森長可、池田恒興を討ち取っている。 戦後は、その文で名を強烈に秀吉の脳裏に刻んでいた為に秀吉との使者としても活躍。 家康の関東移封時には十万石の所領を得、街道の整理と治水に力を注いだ。 関ヶ原時には秀忠の軍師として中山道を進んで美濃を目指した。 道中、「真田は無視するべし」と秀忠に進言するも聞き入れられず、結果、関ヶ原の戦いには参戦出来ずに終わる。 秀忠は家康の怒りを買い、嫡男としての地位を失いそうになるが、康政の「もし秀忠様をお許しにならないのでしたら、ここで殿と一戦交えましょうか?」という脅し交じりの必死の弁護により事なきを得た。 ……と言われているがこの説については大分怪しい。 康政、忠勝、直政の3人で戦後に酒を酌み交わした際、誰が関ヶ原の一番の功労者かという話題になった時、 戦功を挙げた忠勝と直政の2人は躊躇いもなく「一番の功は戦後家中の争乱の火種を産むのを防いだ康政こそ功労者である」と語ったという。 その後、武官の例に漏れず冷遇を食らうが、ひっきりなしに来ていた老中就任や、加増の話を蹴り、 「老臣が権力を争うのは、亡国の証拠だ」という立場を崩さず、家康から感状を貰うこととなる。 この感状を得たことが、後に榊原家の首を繋ぐことに繋がった。 榊原家は江戸時代大小さまざまなトラブルに襲われるも何とかしのぎ、最終的に大名1家・旗本2家が幕末まで続いている。 忠次「うーわ……、お前ネガティヴ・キャンペーンやったの?」 忠勝「康政の活躍といえば秀吉をディスった事だからな。実際岡崎市にあるお前の石像はそこの場面を描いている」 直政「まあまあ、さっさと次行きましょう。次は僕ですね。我が主からメッセージを受け取っているのでまずはそれから」 ●井伊直政 家康「直政を初めて見た時…その…下品なんですが…フフ…勃起…しちゃいましてね…」 勇猛果敢で容姿端麗、彼の率いた赤備えは戦国屈指の精鋭部隊であった。 また、政治・外交手腕にも類い希な才覚を有しており、「小身ながら天下を取れる器」と諸大名から噂されていたが、家康への忠義は篤かった。 が、新参者ということや年若いこと等から徳川家の家臣、特に他の徳川四天王からは常に厳しい目で見られ、 元々自分にも部下にも厳しい性格だった直政は奉公を重ねるにつれてさらに自他に厳しくなっていったことや、気性が激しかったことから、 忠勝の下に逃げる者や、家康に旗本に自ら降格を願う者が出るほど、部下からは恐れられていた。 また、いつも敵陣に突っ込み、多数の傷を負っていたため、戦場では武功を上げながらも傷を全く負わなかったとされる本多忠勝とよく比較され、 一方的にライバル視されて仲が悪かったとされるが、関東移封後は次第と仲が良くなっていったらしい。 産まれは今川氏の家臣であった井伊家だが、父親の井伊直盛が謀反の疑いで義元の跡を継いだ今川氏真に誅殺され、 その嫡子であった直政も氏真に命を狙われることとなったが、父の跡を継いだ井伊直虎らの尽力でなんとか生き残る。 その後、徳川家の家臣・松下氏に再嫁した母親についていってその家の養子となり、家康に「ウホッ…いい男」と見初められて小姓に取り立てられた直政は、 松下氏ではなく本来の家である井伊家に復することを許され、井伊万千代(後に元服して直政)として出世していった。 男色を武将としては珍しく嫌った家康が一目惚れするほどの整った容姿を持ち、さらに礼儀作法にも通じていた美男子だったと言われ、 後に秀吉の妹である旭姫が家康に輿入れした際、彼女についてきた女中たちが直政に惚れ込んだという。 その後に家康とアッー!していた際に武田の忍者を討ち取ったり、高天神城攻めなど対武田戦にて主に活躍。 伊賀越えや後北条氏との交渉で活躍。武田氏旧領の甲斐・信濃を得ると山県昌景などの旧部隊を吸収して赤備えを復活させ、子飼いの部隊とする。 小牧長久手で活躍し、小田原城攻めでは唯一城内まで攻め寄せ、天下にその名を響かせる。 関東移封後は徳川軍最大の十二万石を与えられ、その政治手腕を振るう。 関ヶ原では軍規違反である抜け駆け(後に許される)を犯すが、活躍し、島津豊久を討ち取るなどするが銃弾を受けて落馬。 大怪我を負った直政だったが、休むことなく関ヶ原の戦後処理に尽力。 島津氏と和平交渉を進めて取り潰しを防ぎ、西軍総大将の毛利輝元の領土を安堵し、真田信之の嘆願を受けて真田昌幸・幸村親子の助命に奔走し…と辣腕を振るい、 家康からその功を称えると共に、西軍の抑えを期待されて石田三成の旧領を任されるが、関ヶ原の2年後、1602年に弾創から破傷風(*2)にかかって死去した。 井伊氏は彼の死後彦根三十五万石ら2家が幕末まで続き、幕府にて重きを成した。 そして幕末の直弼含む五人の大老を輩出するが、直弼が桜田門外にて暗殺されると一転冷遇されてしまうようになった。幕府「え?闘病の末の病死ですよ何言ってるんですか?」 なおこれは偶然であろうが、直弼の首を刈ったのは薩摩藩士(その直後深手を負い自刃)だった…。 赤備えは幕末まで残り、色んな意味で活躍しているので、興味があれば調べてみよう。 ちなみに、彦根のゆるキャラである「ひこにゃん」は彼もモチーフにもなっている。 直政「……という事で、僕の事や我が主の事で変な事を書いたら粛清しますからね。……では、最後は忠勝殿、どうぞ」 ●本多忠勝 忠勝「あ、自分、単独項目あるんでそこ見て頂ければ^^」 三人「はぁ〜⁉︎」 本多家は大名家3藩・旗本1家が幕末まで続き、また本家は度重なる転封の果て何と家康の故郷岡崎に落ち着いた。 忠勝「では、アニオタWikiの家臣の皆様方、追記、修正お願いしますね^^」 三人「うざ・・・」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 本田正信は勘定にならないのか 四人とも、意外に親信長派だという -- 松永さん (2013-04-05 20 37 49) 石川数正は出奔しなけりゃこの中に入れたかもなぁ -- 名無しさん (2014-02-08 19 46 26) やれやれ‥こんなところでもくそみそテクニックか‥‥ -- 名無しさん (2014-02-08 20 12 39) なんだかんだで個性派集団だよな。某ゲーム達のようにクソマイナーキャラ増やすくらいならこいつらが勢ぞろいして活躍する戦国アクションゲーがやりたい。 -- 名無しさん (2014-02-08 20 42 46) 台詞が寒い -- 名無しさん (2014-02-09 00 39 30) 忠次の末裔が、庄内酒井家で幕末には17万石、江戸市中取締を担当していた。いわば警視総監。水戸の攘夷派や薩摩の討幕派から江戸の治安を守ってくれた。 -- 名無しさん (2014-03-05 23 14 08) ↑幕末は幕府側から見たら、一番酒井が貢献してたよな。井伊はまだしも(地理的に仕方ない側面あるし、桜田門外までは矢面に立って頑張ってたから許せる)榊原と本多ェ... -- 名無しさん (2014-08-08 18 41 37) 250年後の子孫の功罪と四天王は関係なかろw -- 名無しさん (2014-08-08 21 59 54) ↑酒井家は戊辰戦争時、井伊家や榊原家に手紙を送り、権現様が創業のおり苦楽を共に分かち合ったのに、今は島津や毛利に勢いがあれば、その僕か。四天王の末裔ならば、筋を通して戦うのが道理だろう。とdisっていたな。本多は空気みたいな扱いだったけどね。それと、家臣の一部が出奔して徳川脱走軍に身を投じていたな。 -- 名無しさん (2014-08-09 14 34 23) ↑8 石川数正が出奔してなければ、石川数正と酒井忠次で一纏めされてたから四天王というくくりは生まれたかどうか疑問ですねぇ -- 名無しさん (2015-06-18 18 04 20) ↑石川数正ってそんなに偉かったの? -- 名無しさん (2015-11-05 21 47 19) 普通に考えれば直政の関ヶ原の傷により破傷風で死亡ってありえんよな。本来の感染~潜伏期間を遥かに超過してるし -- 名無しさん (2015-11-05 22 01 09) ↑2 石川が抜けた後、徳川家の軍政を改革せざるえなくなるレベルで偉かった -- 名無しさん (2015-12-03 19 37 18) ↑2 火縄銃の弾丸は質の悪い鉄だったから毒性が強い。それに死因は破傷風と併発した敗血症と関ケ原の戦後処理とそれまでの激務が祟った過労死っていうのが現在の説。それと当時直政の死は三成の祟りという噂もあったから佐和山城の一切が破却された -- (2015-12-03 20 47 40) ↑破傷風の潜伏期間って3日~3カ月だぜ?かかるとしても敗血症じゃなく菌血症だろうが、その2つが併発したら2年はどう足掻こうが生きられん。過労死は別要因であってもおかしくはないだろうけど -- 名無しさん (2015-12-03 22 42 54) 漫画版影武者徳川家康みて、忠勝と、(四天王じゃないけど)正信が好きになったw -- 名無しさん (2015-12-04 08 59 02) ↑2 身も蓋もないことを言えば詳細は不明なんだろう。直政と同じ怪我をした忠吉は直政より長生きして瘡疾で亡くなってる。当時の死因の常連だった瘡疾は詳細不明の病因。破傷風よりは過労によって何らかの病が進攻した末の病死ではなかろうか? -- (2015-12-04 11 53 43) まぁそうだろうな。逆に指先についた微細な傷でも破傷風にはなるし、あの時代じゃ感染元がどこにあるか分からんかったかもしれんね -- 名無しさん (2015-12-04 12 20 29) 一番の問題は直政が重傷を押して外交のために働かなきゃいけなかった徳川家にも問題がある。それと直政は家康の影響で医者嫌いの独自健康法マニアになったのもよくなかったな -- (2015-12-04 17 52 02) 信康切腹は家康が進んでやったという説が有力視されているらしい -- 名無しさん (2016-01-02 18 22 20) 尻尾きりしないとやばい時期でもあったしな。まぁ真相はわからんが -- 名無しさん (2016-10-12 13 45 30) 家康の世継ぎ候補に忠勝が秀康、康政が秀忠、直政が娘婿の忠吉推挙それぞれ推挙していたけれど忠次が隠居する前というか生きていたとした誰を推挙しただろう? -- 名無しさん (2019-04-05 13 59 51) 井伊って銃撃したのが川上シロンペロン(噛んだ)だったり、首を取られた直弼が「闘病の末病死」と発表されたりどうも締まりがないのよな -- 名無しさん (2019-05-27 03 24 48) 修正希望 直政は直盛の子ではなく甥の直親の子。 -- 名無しさん (2019-07-13 04 39 17) 名前 コメント